こんにちは!Izumiです。
きっと誰にでも理想や「こうだったらいいのにな〜」と思うことって少なからずあると思う。
でも実際に「それ」を手にいれて本当に満足するのと言えば、私は案外違うのではないかと思う。
自分の望んでいるものを手に入れれば本当に満足するのか?
私はたまに、自分のコンプレックスや不足に感じることを取り上げては
「ここが、こうだったらな〜」
「もう少しここがこうで〜」
なんて具合に足りないもの探しをしてしまう事があるのだけれど
もし、こうだったら?
果たして、こうだったら私の人生において、何がそんなにも変わると言うのだろうか?
実際は、大した差なんてないような気もする。
疑問
そもそも不足していると思っているのは、自分だけ。ということもよくある話。
それまで、全然なんてこと無かったのに何かをキッカケに知った瞬間、気になりだす。一度気になると、ずっと意識してしまったりしませんか?
でも、実際それに気付くまでは特に問題とせず、これまで来たんだから、実は大したことのないことだったりすると思うんですよね。
結局は、意識の問題なのかな。
そもそもどうしてそれが自分に必要だと思うのか?足りないと思っているのか、真剣に考えてみたことがないなぁ…と思って。
自分の不足や不安要素である「もの」が取り除けたら今持っている悩みが解消される?
本当にそれは自分が必要としていることなのか?結局は、一時凌ぎであって「これさえ解決したらきっと◯◯に違いない!」って問題をすり替えてるだけじゃないのかと思ったりもする。
いつまでも満足できない理由
以前読んだ本で、人は物ではなく価値を買うというような事が書かれていて、私は妙に納得した。
例えば、何か欲しいものがある。素敵な服やバッグにしようか。
それは確かに欲しいものであるかもしれないけれど、実際はその物よりも、素敵なモノを持っている「私」つまり「素敵な女性」だということ。
それらを身に着けることで「自分の理想に近付けるかもしれない」という理想が、理由になって、物を買うという行動をする。
あと、分かりやすいのはお金かな?
お金の場合は、生きていく上で必ずいるものなので、欲しい欲しくないという以前に必要でもあるんだけども。
以上に執着したりとか、焦ったりとか。そんなことしても、急にものすごく増えるものではないじゃないですか。
お金が欲しいと思うのは、物質としてのお金と言うよりは「豊かさ」や「自由」を望んでいることだと思う。
本当はお金なんてただの手段で、お金がなくても暮らしていけたり、色んなことができたらみんな必死になって働く理由も、お金目的の犯罪も起きない気がする。
望んでいるものはゴールではなく、ただの通過点
なんとなく、それがあったら、それさえあったら満足するような、幸せになれそうな気がするけれど、ただの通過点や手段なのかもしれない。
実際、それらを手に入れた瞬間、満足感や幸福感は感じられるんだろうけど、果たして自分が本当に望むものは、それで手に入るんだろうか?
そもそも、なんでそれが必要なの?
もっと言ってしまえば、不足していると思っている理由はなんだろうか?
不足を満たしても問題解決するわけではない。
自分に不足していると思っていることが補えたなら満たされると思いがちだけど
結局、最終的に目指すものは、自分がそれを手にしたときの「満たされるであろう感情」や「思い描くもの・こと」であり、決して物や目に見えるものではない。
私の場合、自分の理想とする感情や環境になるために、それを欲していて、それら(目や形として見えるもの)が手に入れば、理想に近づける・手に入る気がしているんだと思う。
だからと言って欲が、いいとか悪いとかではなく。手にいれれば満たされると思っている”もの”それ自体が、自分の本当に欲しているわけではないということ。
だから自分の不足を満たすであろうモノを手に入れても、目指す場所まで辿り着いてみても、なんだか満足感を得られないのは、結局それがゴールではなく、本来はその先に欲しているものがあるということなんじゃないかな。
物質は体験や幸せな感情を味わえる手段となるもの。
これらを私は無駄だとは思わないし、むしろ自分を幸せな気分にするものであれば、どんどん取り入れるべきだとも思う。
ただ、本当に自分が心の底から望むのもは、もっともっと深くて、でも本当はものすごくシンプルなのかもしれないとも思う。
少なくとも、私が不足を補うであろうと考えるモノでは、それらでは補えない。
考え方も人との関係性も、どういうものが自分を幸せな気持ちにするのかは、しっかり理解しておきたいと思う。
ここまで読んでいただきありがとうございます♪