先週1週間は子どもと家に引きこもっていた。ひたすらグータラ過ごし、1日の大半をアニメに費やし、たまに昼寝。
そんな生活も悪くはないけれど、自ら望んでそういう生活を選択しているのと、仕方がなくそうしているのでは同じ時間でも天と地ほどの差がある。
自由なようで、ちっとも自由ではない。
とは言え、そう悪い事ばかりでもない。時間に追われず、夕方などはいつもより格段にのんびりと時間が過ぎていた。
そして一番の収穫はアニメ「鬼滅の刃」を知ったことだろう。一話目から泣いた。
腹を抱えて笑うくらい面白いし、感動して泣けるし。すっかり魅了されてしまった。こういう時に配信動画サービスってめっちゃ有難い。
それにしたって仕事を休んで家にいる以上、手放しで喜べるわけもない。風が吹けば倒れそうなくらい不安定な柱だが、自分が主になって働かなくてはいけない立場である。
そのうち、最低限の家事はしているけれど、家でグータラしている自分にモヤモヤし始めた。
人間は、暇だとロクなことを考えないと思う。
自分のことを認めてあげる
引きこもり生活から解禁されて、休日に少し一人の時間を持つ日があった。
結局、家のことを片づけて、勉強して買い物に行ったらもう半日が過ぎて、あっという間に一人の時間が終わったのだけど。
食材を買って、家の駐車場に車を停めエンジンを切った瞬間。
あれ?私ってなんかすごくない?
唐突に、自分ってよくやってんじゃんマジで。と心の底からそう思った。
そう思ったら居ても立っても居られなくなって思わずTwitterに書き込んだ。
毎日ご飯作って、家のことやって、やりくりして、子どものこと考えて、仕事して、大学の勉強も頑張って、わたし偉いじゃん!と急に自分を褒めたくなった。
1週間引きこもってたせいでメンタルが不安定になりかけてたわ。
— izumi@シングルマザー通信大学生 (@idumi0c0) February 9, 2020
毎日ご飯作って、家のことやって、やりくりして、子どものこと考えて、仕事して、大学の勉強も頑張って、わたし偉いじゃん!と。
自分を自分で褒めることが難しい理由
自分が普段してることって、当たり前過ぎて特別なことだと思わない。
家事や子どものことは生活の一部だからかなぁ。掃除や料理、洗濯ってしないと日常生活に支障が出てくる。
家事は、お金を稼ぐことと同等に大切なこと。もっと言えば基盤が整ってるからこそ、問題なく生活できるんですよね(特に子育て世帯は)
それなのに「なんで家事育児をしている自分を褒めてあげられないんだろう?」と思ったのです。
みんな自分のことを日々褒めてあげられているんだろうか?だとしたらとても素晴らしい事だと思う。
苦もあれば、楽もあるから
「よくやってるよ」「えらいよね!」なんて誉め言葉をもらうことがある。
きっと、シングルマザーだから大変に思われるんだろうな〜と勝手に思っている。
みんなそれぞれの事情があり、環境があり。同じ人など一人としていないので一括りにするつもりはないが、やはり大きな括りで分けた時にシングルマザーの枠というか、イメージというのは存在すると思う。
私はわりと恵まれた環境にあると思っているけれど、それでも大変に感じることはある。
というか私の場合は「責任」への重圧。
私が子どもたちを守らなくてはいけないこと。私の経済状況や自分の選択に子ども達が大きく左右されるという、結婚している時には思わなかったなんとも言えぬプレッシャーがある。
でも反対に、旦那がいないという面では楽なことはもちろんあるだよね。
元々働いていたし、ワンオペ状態だったので、家事に関しては大人が一人いない分、やる量は完全に減った。育児に対しても何も変わらない。
それどころか子どもたちと父親が会う日には、少しだが一人の時間まで持てるようになった。
大変なことが増えた分、離婚前よりも自由に楽に感じることもある。こればかりは、本当に人それぞれの感じ方であり、そうなった経緯や環境で大きく変わるのだと思う。
何にしても
何を得るということは、何かを失うということ。その逆も然り。
自分の為にやっていることだから
それでも子育と、仕事しながら家のことやって、大学の勉強もあってと聞いたら大変に聞こえるんだろう。
でも当の本人である私は、自分が何も特別なことは何もないと思っている。
確かに大変でないと言ったらウソになるかもしれない。「もう無理。もうキャパオーバーだわ」ってこともある。何せ器が小さいもんで。
それでも何もしていないのは、私にとって恐怖でしかない。
私の原動力はきっと「不安」なんだと思う。不安があるからそれを少しでも払拭するために、こうしてやっている。
そして2.5足のワラジ状態(仕事・家事・子育て・学業)が継続出来ているのは、私が適当人間だから。
完璧主義だったら絶対無理だと思うもん。笑
だから人から褒められても「私はよくやってる」となかなか思えないだろうな〜
人は受け取りたいように取るし、聞きたい言葉しか入ってこない。
同じ言葉を言われても、人により解釈の仕方は異なる。
人は受け取りたいように取るし、聞きたい言葉しか入ってこない。いいことも、悪いことも自分の都合のいいようにしか解釈しないとも思っている。
私は最近、人からの嬉しい言葉を素直に受け取れるようになってきたつもりでいたけれど、実際は自分を認めてあげられていない事に気付いた。
満足できない病
人のことは、すごいな〜って素直に尊敬できたりするのに、自分のことになると厳しくなってしまう。
で「私はどこまで頑張ればいいのよ。」というか、何ができれば自分に満足できるんだろう?と思ったの。
このままだと、いつまでも満足する事はないんだろうな。いつの間にか「ないない病」になっていたかもしれない。
常に全力じゃなくても、何もすごいことは出来てなくとも、それなりにやってるじゃないか私。それでいいんじゃないかと
人に提供するモノだったり、サービスは満足することなく、どこまでも貪欲に突き詰めていくことは必要だと思う。でも、自分自身に対しては、ある程度のところどころで認めるなり褒めてあげないとね。
上を見ればキリがないし、下を見ても仕方がない。自分を認めてあげられないってなかなか辛い。
あれもこれもと自分を張りぼて状態にしても、それが無くなったら(出来ない時がきたら)何にもなくなっちゃうもん。
今の自分を認める
私は「何かを出来ている状態の人」と言うのは、本人が望む望まないの前に、単にそうできる環境(身体や精神面も含め)がある前提の話だと思っていて。
働いてる、働いていない
子どもの有無、人数
何かやっている、やっていない
自分で選択できることもあれば、出来ないことも多い。例え自分が選んできた選択の上にあるとしても全て受け入れられるほど人って強くないですよね。
環境は本当に簡単に考えてはいけない。みんなそれぞれ事情がある。子どものこと、親のこと、兄弟のこと、夫婦のこと。自分以外の要因も大きく関係してくるから。
何ができていても、何かができていなくともいい。
いい時ばかりじゃないですよ。
日々、色々ある。
今の自分にできること
人って永遠に健康で元気に動き続けられるわけでもない。確実に出来ないことが増えていくんですよね。若くても、自分の周りを取り囲む環境(子どもや介護、病気とか)色々ね。
たぶん、何かが出来ていることに価値を見出そうとすると、それが出来なかった時に自分の存在に価値を見出せなくなる。
目標を持ったり、前向きな気持ちはいいけれど、常に”今の自分を認める”って大事だなって。
日々の生活があったり、責任があったり。そんな甘いことばっかり言ってられないんだよ!
ほんとその通り。守るものがあれば尚更ですよね。
ただ、焦った所で何も変わらないのなら、一先ず自分を褒めてやること、今自分が出来ていることを認めてあるのはすごく大切だな〜って思ってて。
ストレスって大敵です。巡り巡って大変なことになる。
自分に優しくできる人
自分の機嫌を取ってあげられる人って、ものすごく大人だと思っていて。
私なんかは気分の上がり下がりが激しい人間なのでこれが難しい…。大人なんでね、あからさまには表には出さないけれど心の中では相当、喜怒哀楽が激しく日々色んなことに消耗している。
だから、自分を一定の気持ちに保てる人や、自分の機嫌を取れる人というのは私の中で精神的にかなり熟成した大人なのです。
「できない自分でもいい」と思えること
思い通りにいくことばかりではないから、自分が満足できる状態に居続けることって難しい。
一つのことができるようになると、それが当たり前になってしまうものだし。でも本当は十分にできているのかもしれません。
「○○でないといけない」ではなく「○○でもいい」
何だか上手くいかなくて、自分ってだめだな~感じる時に自分を責めても焦っても仕方がない。自分を奮い立たせられる人はすれば良い。
でも、現状は変わらない環境があり、気持ちが焦るばかりで辛くなるのなら、無理するのではなくて、今日の自分を褒めてあげよう。
何もできない時に
「この状態が、今の自分にとってのベスト」だと思えたらすごくいいな~と思う。
今日もよくやったな!自分!と思えたらきっと幸せですよね♡
ここまで読んでいただきありがとうございました♪