こんにちは!izumiです
この間、スクーリングで話題に上がったテーマに対して自分なりに思うことがあったのでシェアしたいと思います!
それは“今の子”は自尊心が低いというものでした。
それに大して、本当だろうか。昔の子どもたちは自尊心が育っていたのか?と疑問に思ったのです。私は、自己肯定感が下がってるのは決して子どもだけではないような気がするのですよね。
もしも、そうならば私たちはいつ自尊心をなくしてしまったのだろう?
自尊心が低下する原因
もし本当に”今”の世代の人たちの自己肯定感が低い傾向にあるのなら、私なりの答えは、単に昔と比べて比較対象が増えからだと思っている。
世の中が多様化してて、いろんな生き方・表現方法がある。ゆえに、戸惑いも多い。
それは子どもたちもそうだろし、大人も戸惑いや不安が大きく、受け入れが難しい状態にきていて、みんなが翻弄されている状態なんじゃいかな。
SNSがいい例だ。
私たちの親世代は今のようにネットが無かった。当然ながらSNSなど存在するワケもなく。それこそ、テレビや雑誌で見る芸能人やアイドルは特別で、一目置くような存在だっただろう。
それが時代が変わり、インターネットが繋がりsnsが普及したことで、個人が発信できるようになった。いわゆる芸能人やタレントとインフルエンサーの違いはそこまでないように思うし、今後さらにその差はなくなっていくと思う。
一昔前の「単にテレビ越しに見ていた時代」は終わって、自分が主になって発信していく時代。
それはとってもいいことでもあるけど、新たな問題を引き起こしもする。
人と比較してしまうのは、当然だと思うし、自分に自信をなくすことだって普通にある。そこで生まれたものが自己肯定感の低さに繋がるのではないだろうか。
日本は世界で比較しても自己肯定感が低い
出典: 文部科学省ホームページ「高校生の生活と意識に関する調査」における国際比較
「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」における国際比較
「自分自身に満足しているか」という質問に「そう思う」と答えたのは全体の7.5%
比較した国(韓国・アメリカ・英国・ドイツ・フランス・スウェーデン)の中で日本はワースト1という結果。
いい意味で、真面目・謙遜的なのでしょうか。どの質問でも比較的、自信のなさが結果として出ています。
自尊感情は人生を左右する
自尊感情とは、自分自身を価値ある存在だと感じる感覚です。自分を好きだと感じ、大切に思える気持ちのこと。さらに自尊感情とは2つの種類が存在します。
基本的自尊感情(BASE)
基本的自尊感情とは、成功や優越とは無関係の状態。つまりありのままの自分を受け入れていて、自分をかけがえのない存在として自分を丸ごとそのままに受け入れる状態。長所だけでなく短所も含めて自分を認め、尊重する感情です。比較することはなく絶対的な無条件の感情。この感情が自尊感情の基礎を支える大切な部分。
社会的自尊感情(SOSE)
社会的自尊感情は、上手く行ったときや、他者から褒められたりすることで高まる感情。それゆえ失敗したり叱られたりするととたんにしぼむ。他者との比較による相対的な優越による感情です。
自尊感情の4つのタイプ
[jin_icon_pen color=”#6495ed” size=”18px”]SBタイプ・・自尊感情の2つの部分がバランスよく形成されている
[jin_icon_pen color=”#6495ed” size=”18px”]sBタイプ・・社会的自尊感情が育っていない:のんびり屋、マイペース
[jin_icon_pen color=”#6495ed” size=”18px”]sbタイプ・・自尊感情の2つの部分が両方育っていないタイプ:孤独、自信がない
[jin_icon_pen color=”#6495ed” size=”18px”]Sbタイプ・・社会的自尊感情が肥大している:頑張り屋のいい子、不安を抱えている
社会的自尊感情がなにかの時に潰れてしまったら、下にある基本的自尊感情が支えとなる。このベース部分がいかにしっかりした土台であるかが、心の安定性と関係してくると言えるのです。
自己肯定感は規範意識の高さと関係している?
そもそも、日本はきっと規範意識が高いんだと思うんですよね。
この表は、人様に迷惑をかけない!この精神がよく出ている結果だと思いました。
集団生活を送る上で、ルールを守ることや、協調性を持つことはとても大切なことです。人に迷惑をかけないようにという考えは素晴らしいし、こういう考えで生活を送っている人が実際に多いんじゃないでしょうか。私も意外と?小心者なので、なるべく迷惑を掛けないように…意識はしている(つもり)です。
だけどね、この「迷惑」のかけ具合というか「迷惑行為」に厳しくなりすぎているんじゃないかと思うことが多々ある。
誰だって生きてりゃ大なり小なり何かしらの迷惑をかけて生きてるんだから。
自尊心を高めよう!と言いながらも、みんな同じように振舞うことを求められたり、決められた中で一定ラインを目指してってのは、多様性・個性を抑え込むことにもなるじゃない。
あれもダメ、これもダメ
集団意識もいいですけどね。みんなと協力して、人に迷惑をかけないようにばかりでは、自分を否定されてるというか、今のままの、ありのままの自分では不十分だって感じちゃう。
そのままでいいと思いたくたって「本当にそのままの状態を受け容れてくれる状態は整ってないじゃない」と思うわけですよ。
自己有用感は大切。だが、注意が必要
自己有用感とは、他人の役に立てたり、相手が喜んでくるのことで、自分が有用だと思える感情。
ただ、これって相手の存在なしくしては無理なのですよね。あくまで他者との関わり合いの中で生まれる感情なので、これは他者評価になるのです。
私自身も思ってきたし自分の子どもたちを見ても思うけど、子どもって親を喜ばせたいんですよね。親に無条件に受け止めてもらいたくて、認めてもらいたいと思っている。大人でだって人に役に立てたり、誰かに喜んでもらえたら嬉しいし幸せな気持ちになりますよね。
ただ注意しなければいけないのは、自己有用感は他者評価であるという点です。他者評価である以上、自分が予想していた反応が返ってくるとは限らない。むしろ、そんなことの方が少ないんじゃないでしょうか。相手が自分を評価してくれないとなれば、自己有用感は得られませんから、これは相手に依存していることになる。
だけど、やっぱりどこか期待しちゃうと思うんです。だって、何かを始める時には、相手が喜ぶ顔を想像して行動するから。
自己肯定感が育つ上で大切なこと
自己肯定感はその名の通り、自分を肯定できることです。ありのままの自分を受け入れ、自分は価値があると思う感覚。自己有用感が他者評価なのに対し、自己肯定感は自己評価です。
上でみた自尊感情の4つのタイプからも分かる通り、他者評価で作られた感情(自信)の割合が占めていると、他者からの評価が得られなくなった時バランスが崩れます。そういう意味でも、やはり自分で作り上げるベースの部分がとても大切。自分をありのまま受け止めることのできる自信・自己評価が重要になるのです。
エリクソン(Erikson.E.H)発達課題と心理社会危機
エリクソンとは、心理社会発達理論を提唱した発達心理学者です。人間は生まれてから死ぬまで発達していく存在であるとしている。
エリクソンは人生を8つのステージに区分しており、それぞれのライフステージで獲得すべき課題を挙げています。
・乳児期(0〜1歳) 基本的信頼 対 不信
・幼児前期(1〜3歳) 自律性 対 恥・疑惑
・幼児後期 (3〜6歳) 積極性 対 罪悪感
・学童期(6〜11歳) 勤勉性 対 劣等感
・青年期(12〜20歳代半ば) 同一性 対 同一性拡散
・成人期前期(19〜40歳) 親密性 対 孤立
・成人期後期(40〜65歳)生殖性 対 停滞
・老年期 (65歳以上) 総合性 対 絶望
この他にも、発達段階ごとにその人をとりまく重要な人物や居場所が変わっていきます。
例えば、乳児期では母親的存在が重要な人物であり、母親(養育者)との関係を通じて満たされ、安心して、社会に対して信頼感を獲得する時期。この時期に適切なケアが行われないとその後の人生に大きな悪影響を与えると言われています。
学童期では近隣や学校が中心となり、学校生活や友だちとの関わりの中で社会生活に必要な知識をつける。集団生活の中で役割や社会性を身につけていく。
青年期にはアイデンティティの確立(自分はこういう人間だと自分でわかること)が課題となります。アイデンティティーが確立できないと、「自分は何なのだろう」「何のために生きているのだろう」と悩みつづけることになります。
このように、人の成長は発達段階を追って進んでいくものです。
発達課題は、今日の社会において健全な成長をもたらすものである。発達課題は個人の生涯にめぐるいろいろな時期に生ずるものなので、その課題を立派に成就すれば、個人は幸福になり、失敗すれば不幸になり、社会で認められず、その後の発達も困難になってくる。
R.J.ハヴィガースト
その時々で課題をクリアしてないと、人生において困難な場に遭遇し、悩み苦しむことが多い。それが、心の不安定に繋がったり、ひきこもり、虐待など様々な問題に発展していくこともあると言われています。
アドラー心理学 対人関係論
「すべての悩みは対人関係の悩みである」
アルフレッド・アドラーの対人関係論ではこう言われています。
エリクソンの発達課題の段階を見ていると、自分ではどしようもない発達時期というものがあるので、子どもの頃に十分な発達段階を歩んでくることができなかった。という場合もあると思うんですよね。でも、大人になって、乳・幼児期や学童期に戻ることはできません。
全ての人が、どの段階の発達課題をクリアしてきたとも到底思えない。それでも、みんな葛藤を抱え、考えて生きているわけです。
重要なことは人が何を持って生まれたかではなく、与えられたものをどう使いこなすかである。
アドラーは遺伝や生育環境の影響を完全に否定しているわけではなりません。養育者の子育てが性格形成に影響を与えたのは間違いないけれど、その影響は限定的だとしています。
現在の人生を決めているのは運命や過去ではなく、自分自身の考え方次第で、いつだって変えられるという考え方が大好きです。
「自由とは他者から嫌われることである」
人の期待を満たすために生きてはいけない。
それでも、人は誰かの役に立ちたいと思っているし、人の喜びに幸せを見いだす生き物だと思うんですよね。実際にアドラーはこう言っています。
人は「貢献感」を感じ「自分に価値がある」と思える時にだけ勇気を持つことができる。
そして
他社の評価に左右されてはならない。ありのままの自分を受けとめ、不完全さを認める勇気を持つことだ。
結局はどれだけ、自分で自分を認められるか。人の評価ではなく自分で「よくやったよ」と褒めて認めてあげれるか。
なかなかね。難しいことではありますが、自分の過去も境遇も重要ではなく、これからの人生を作るのは自分だということです。