こんにちは!izumiです。
最近upしたブログで1週間の夕飯の記録を残していたように、以前のブログでも頻繁に食卓の写真を乗せたり、ブログに残したりしています。
それには私なりに理由があるので、今日はそのお話をしたと思います。
キッカケは離婚後の子どものメンタルケア
もともと料理は嫌いではなかったけれど、子どもの頃から食に対してあまり興味がなかった私。食べることはお腹を満たす意味合いが強くて”別になんでもいいや”くらいに思っていました。結婚後はそれなりに料理をするようになり、子どもが生まれてから栄養面も気になるし、色んなことに感化されて以前よりも少しだけ頑張るように。
そんな私が、食事に対して感心を持ち始めたのは離婚して子ども達との3人の生活がはじまってから。
前にも書いたけど、私と子ども達だけの生活だと、どうしても怠けがちになってしまう。それプラス、離婚後は仕事を増やしたので自然と忙しくなり食事が疎かになると思ったのです。数か月ですか、一時期内職を掛け持ちしたこともあり。ぶっ倒れそうになりながら夜中までやったこともありました。笑
今となっていい思い出です。
そんな中でも、夕飯だけはなんとか作っていた。
それはなぜかというと、私ができることは子ども達にご飯を作ることだけだったから。
分かっていたことだけれど、離婚後の生活は金銭的な面で本当に不安で。なんとかなる!と見越して離婚に踏み切ったんだけれど、実際に引っ越しなどで大きなお金が出ていくと不安感が増していきました。
私が一番恐れていたことは、離婚したことで子どもに不自由な生活を強いる羽目になること。もともと贅沢な生活を送っていた訳ではないけれど、旦那さんが稼いできてくれるという安心感はあり、それなりの生活も保障されていたので。それが、これからは私の収入で子ども達の生活が左右されることになる。
ひとり親支援があると言え、それだけでは到底生活などできませんから、自分がどれだけしっかりとしなくてはいけないのか。肩にものすごい重みを感じるようになりました。
そういう責任感がものすごくプレッシャーに感じてしまい、なんか一時期本当にメンタル的に辛い時期があって。
さらに、そこに輪をかけるように、次男がものすごくトイレの感覚が近くなってしまった時期があって。今思えば色々とあった時期だから色んな要因があったと思うんだけど、あの時はホントに自分を責めたよね。。
その後、ひと月も経たないうちに症状は治まったんだけども。もう色んなことが急に不安に感じてしまって。子ども達が大きくなったらどうなるんだろうとか、非行に走ったらどうしようとか。どんな風に息子たちがこれから成長していくのか不安で仕方がない。
離婚したことで、子どもにどんな影響があるのか。
両親揃った家庭だっていくらでも問題は起こるし、すべてが離婚のせいだとは言い切れることはないと思うのだけれど、やっぱり後付けというか今後問題が起きると、離婚せいかも知れないって考えちゃう気がするんだよね。
一時期、どうしようもなくなった私が手に取った本のうちの一つ
私の両親も何もなかったと言えば嘘になるけど、自分は両親揃った家庭で育ててもらった。だから、片親で生活する苦悩とか、大変さを私は心からは理解することはできはしない。
それでも、私が離婚という道を選んだのは、それがベストな形だと思ったから。
申し訳ないけれど、結婚生活を続ける気にはどうしてもなれなかった。息子たちにとって家庭環境はとても重要なことなのだけれど、これは私の人生なので自分のパートナーに誰を選ぶか、誰と時間を過ごすかは私が決めることだと思っている。
その代わり、父親とはなるべく関わり合えるように、何ひとつ制限するつもりも口出しをするつもりもない。子ども達が大きくなって、ママよりもパパと住みたいと思い、それが現実叶うならば私はそれで良いと思っている。(本心としてはもちろん寂しい)
食卓は心の栄養
今でも息子達の言葉で胸が締め付けられるような思いをすることはたまにある。
でも、それは当然のことで、私はただ聞くことしかできない。
だから、私は自分にできることはやっておきたい。そして、私が息子たちできる分かりやすい表現は料理だった。
『デスパレートな妻たち』という海外ドラマがある。(通称デス妻)素敵な郊外に住む、波乱万丈な妻たちの物語。それはそれは本当に面白いので、ぜひ観て欲しい。(ただ個人的には最終回がショック過ぎて3カ月ほど引きずった)
その中で、ブリー・ヴァン・デ・カンプというカリスマ主婦がいる。側から見たら全てが完璧に見える家族なのだが、実際には、子ども達も夫婦関係もまったくうまくいっていなかった。
ブリーはお料理も掃除も片付けも、身だしなみも全てがパーフェクト。
毎度の食事はレストラン並みである。しかし、家族はそのブリーの完璧さにうんざりしている。
ある回で、ヴァンデカンプ家が食事をしているシーンがあるのだけど、ブリーの息子であるアンドリューが、ブリーお手製の豪華な食事を目の前にし「もっと普通の料理が食べたい。」というようなことを言うんですね。
それを聞いたブリーはもちろん信じられません。さらにアンドリューは「友達の家は簡素なご飯だけど、それでも幸せだ」と。
私の場合は何も完璧ではないし、大したものなど作れないのだけど、私なりに一生懸命にやっている。それでも、息子たちからしたら、もっと簡素でもいいので今すぐに食べられる料理の方がいい時もあるかもしれない。
もちろん栄養面を考えて色々と食べて欲しいという思いは根底にあるんだけど、どちからといえば”手料理を作るという、私自身の拘り“である。
『ひとり親でも子どもは健全に育ちます』の中でも、食卓に対する大切さに触れられている。
大切なのは、毎日の食事に気を配ること。
子どもが家庭の居心地のよさを感じる大きな要素です。出典:『ひとり親でも子どもは健全に育ちます シングルのための幸せ子育てアドバイス』より
これこそデス妻ではないが、何も豪華な食事でなくても良い。大切なのはそこに、子どもの好きが取り込まれていること。
ちなみにこの著者が進めてるのは朝食で子どもの希望を取り入れること。
食事の中に選択肢を取り入れること(本の中ではジュースを3種類程度用意して置いて、子どもに選択させる・卵をどういう風にして食べたいかなど)が書かれている。
私は、この本を買った時からその方法を取り入れていて、朝ごはんだけはある程度選択ができるようにしてある。
パンがいいのか、お米がいいのか、はたまたシリアルか。
もちろん、常に選択できるわけではなく、切らしてて今日は○○しかない!という日もなかにはある。すっかり贅沢に育った我が息子達(特に次男)は文句をいうときもあるが、そんな時は私から「うちは店屋じゃないんだよっ!」と一括される。
私自身、あんまり親に対して文句を言った記憶が無くて。(親も忘れただけかもしれないけどそんなことはなかったと思うという)理解に苦しむ時もあるが、まぁ言いたいことが言えるのはいい事でもあると思う。
うちの場合は子どもと私の間に入ってくれる(冷静な目の持ち主)がいないので、私に負けず劣らず食いかかってくるくらいの子どもでいい気がする。
(学校とかお友達の前ではとってもいい子なんですよ。)
子どもがいう一言って案外、的を射ていることも多いものですよ。
いつも反省しちゃう(´・ω・)
ということで、私が必死になりながら料理をしているのは、不器用で大人げない私が普段の生活の中で愛情を表現できる形だからです。
そうやって自分にとっていいと思えることを続けていかないと、不安だから。それを振り払う為にご飯作りに気を使うのです。