こんにちは!Izumiです。
最近のガチャガチャ(ガチャポン?)って昔と比べるとビックリするくらい高いですよね。500円とかザラにある。
少し前に、子どもたちを連れてスーパーにいったんだけども、レジを出て食材をしまう台の側にズラリとならんだカプセルトイがあるのです。
私が買った食材を袋に詰めている間、子ども達はいつもカプセルトイを見に行くのがお決まりのパターン。
そこで、次男が何やら欲しいものを見つけたらしい。
「やる・やらない」
「欲しい・そんなものどうするの」
「この間、買ったばかりでしょ」
これはきっと子育て中の親子でよくある会話だと思う。
その日も、すでにお菓子を買った後だったし、どうせ数十分後にはゴミのようになってるのがオチである。
スーパーにガチャガチャのある不思議
きっと場所もあるのですよね。
例えば、ゲームセンターとか、遊びでどこか出掛けた先ならば、ガチャガチャへの抵抗感ってあまりない。ただ、スーパーって数百円もっといえば数十円の世界で高い・安いを考える空間じゃないですか。
そんな場所で数百円を使うのってよく考えたら笑えませんか。しかも、子どもが複数いる場合はもちろん○○○円×人数分
多くの世の主婦たちは(もちろん私も)、毎月決められた食費の中でなんとかやりくりしようと頑張っているのですから。
これまでの数年(買う→喜ぶ→1時間後には行方不明or床にコロリ)と何度も同じようなパターンを繰り返しているので、私にとってみれば、お金を捨てているのも同然のようなもの。
その日は、真剣に取り合わず店を出た。
そして昨日、子どもを学童に迎えに行って家に着いた途端、次男からまたあのガチャの話が出て、どうしてもやりたいと。
涙がでるほどやりたいらしい。
必要・不必要を決めるのは誰なのか
そこで思った。
大人はさ、自由じゃないですか。
自分の判断で、買う・買わないを決めれる。必要・不必要はお金を出す人が決める。これは同然といえば当然。
もちろんそこには責任が伴うんだけど。
ただ、例え我が息子であろうと、人が求める者に対してそれが、必要なのか必要でないのかを私が決めるのはおかしいのではないかと思ったのです。「どうせまた無駄にするでしょ」と決めつける恐ろしさ。
例えば、私なんかは今シングルなので、家計を共にする相手(旦那)がいないわけですよ。そんな自由ができるわけではないけれど、とりあえず気を使う相手はいないわけ。
何にどのくらいお金を使おうが、どのタイミングで何をしようが、相談・交渉する人がいないのです。
人のやりたいを否定しない
私は今年、学びの年だと思っていて自己投資してることがあります。その中で学ぶことは間違いなくあるけれど、最終的に自分にリターンがあるかなんて始める時には誰にもわかるはずもない。
投資しても金銭的な面でリターンはないかもしれません。ただ、それを無駄だと思うのか、目に見える金銭という形ではないけれど、自分の身になったと思えるならば、それはそれで何かを得ているので良いわけで。
だから、それに対して勝手に必要・必要でないとか、無駄だと端から決め付けるのはよくないのではないかと。毎度、ゴミと化しているガチャだって息子にとっては何か特別な意味を持つかもしれない!いや、これは言い過ぎか・・・笑
もし自分が欲しいモノとか、やりたいことに対して端から完全否定してくる人がいたら嫌ですよね。明らかに無駄だと思う行為でも、経験させることも大切ではないかと思った。
そこで生まれる葛藤
スーパーでのガチャはハードルが高いといったけれど別にやろうと思えば、ふつうに買える値段ですよね。スーパーでよく見る光景「お菓子の買う・買わない」も、ほとんどの場合が本当に買えないわけではないでしょう。
少し離れた立ち位置でみれば「菓子のひとつやふたつ、買ってやればいいのに。」と思う人も多いだろう。
でも、きっとそこには、家を出る前に親は「今日は何も買わないよ」という約束をした上でスーパーに来ており、子どもも「わかってる」と言った上でそこにいる。(了解の有無は関係なくどうしようもなく連れて行かねばならない時期もあるのだけれど)でも、いくら約束したとて、子どもですから実際目にすれば欲しくなるのは当然のこと。
親からすれば
「我慢することを覚えさせたい」
「約束を守って欲しい」
「物を大事にしなくなる」
教育としての意味が含まれていますからね。いっそ、好き放題できたらどんなに楽だろうと思う。
一貫性を持たせるのも大事ですし。本当、子どもってキリがないので、ずーっと叶うまで言ってるし、よく覚えてますから「前はいいって言ったのに!」なんてことも。
親の都合で意見や態度を変えるとえらい目を見ますよね(苦笑)
頻繁に買い与えるのは悪いことか
うちの場合は、スーパーに行けば毎回お菓子は買うことにしてます。というのも、私は食べることだけは我慢させることをしたくなくて。私が与えなければ彼らは当然買えませんから。なんかそれは嫌なのです。私の勝手な拘り部分ね。
ただ問題もあって、十分にお菓子を持っていても欲しがります。「なんでもいいからなんから欲しい」とか言われると、何それ?って思う。
これは完全に買うことが自体が目的になってます。でも、私はなんとなくその気持ちはわかる。ストレス抱えて買い物行くと同じことやってるもん私。だから人のことは言えないの。笑
この辺りを見分けるのがなかなか難しい。
ただ今回のガチャガチャに関しては、本当に欲しいんだろうな~と思ったのでやることにしました。
やらない!と一度言ったからには「やらない」を通してもよかったのかも。それかお小遣い貯めてやったら?というか。
うちは今、お手伝いをしたらお小遣いがもらえるシステムを実験的に導入中。
しかし次男は最近【お小遣いをもらう→ママのお金が減る→ママかわいそう】という謎のループができてしまったようで。
ママかわいそうだからお手伝いはお金なくてもいいよという心温まる言葉を掛けてくれまして。かといって何か手伝いをするわけでもないんだけどね。笑
そんなわけで、一向に次男のお小遣いが増えないのですよ。
とりあえず、私もガチャはやらん!言ったからには簡単に「じゃぁ、やろうか」とも言いたくないわけです。
最終的に、一貫性は貫けないけれど半分出してあげるから半分は自分のお小遣いでやったら?ということにして話は付きました。お金を使えばお小遣いが無くなるという学習はできるであろう。(ことを願う)
手に入れたガチャガチャ
泣くほど欲しがったのはこちらのカエルさん。
いきもん「キノコとアマガエル」
人気なんですかね。ラスト3つくらいになってました。運命だったのか、彼が一番欲しかったのが出たそうですよ。
キノコが苦手な長男とカエルが苦手な私は震える。
おもちゃなんでかわいいですけど。なんなら私も大好きなカエルガチャシリーズがあるんですけど
今朝の風景
仲良く遊んでおります。
若干、狙われてる感もありますが・・・
おまけ
ガチャガチャをしに行った日。スーパーのお惣菜コーナーの誘惑を振り切り、うちでご飯を作りました。息子たちにそこまでいうからには私もやはねばなりません。
簡単なものですが、しなびかかった大根を無駄にせず済みました。
美味しかった。
ここまで読んでいただきありがとうございました⋆*