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次男は小学生2年生の頃から学校に行き渋るようなりました。初めの頃は学校を嫌がる理由がわからなかったし、正直なところ「学校に行きなくない」と言った次男の言葉を軽く考えていた。
少なくとも、この後何年も不登校で悩むことになるなんて思ってもいませんでした。
不登校になったキッカケ
子どもが不登校になると、親はその理由を必死に探ろうとする。
それこそ初めのうちは「気分的なものだろうな」と考えていたけれど、学校を嫌がる強さが増すごとに「これは学校で何かあったに違いない」と考えるようになった。
まず頭に浮かんだのは「いじめ」
誰かに意地悪されているんじゃないか、先生にいやなことを言われたのか…それくらいしか頭に浮かばなかった。
学校を嫌がる理由を知りたくて、何度も本人に聞いた。
原因さえ分かれば対処ができる
でも明確な理由を次男の言葉から聞くことはできなかった。月日が経てば経つほど納得できるような理由などないと気付き始める。
ただ、キッカケとなる出来事はあった。
それは、新型コロナウィルスによる学校の感染対策が強まった時期と休校
ちょうど学校を行き渋り始めた時期と重なる。
不登校の前兆
次男の場合、突然学校に行かなくなったわけではなかった。
初めの頃はまず、朝家を出ようとするタイミングで「お腹が痛い」というようになった。
私はこれをトイレに行けば治る”ただの腹痛”だと思っていた。熱もないので当然学校に行かせた。
実際に学校から帰ってきて「お腹どうだった?」と聞くと「だいじょうぶだった」と言うし、家でもお腹を壊している様子もない。
家でも元気に過ごしている。
それなのに、また次の日になると何故か同じことが始まる。
食欲もあるし、家ではお腹を痛がる様子もない。いつも通り元気に過ごしている。
だけど朝になると必ずお腹を痛がり、ついにはランドセル背負ったまま玄関の前で泣き出すようになった。
「これはさすがにおかしい」と思いながらも正直、この頃の私はイライラもしていた。
今こうして書いていても、なんて酷い母親なんだろうと自分でも思う。ただ昔の自分を代弁させてもらえるならば私は私で必死だった。
それに働く親なら当然の反応だとも思う。
「もう仕事に行かなきゃいけない」
「こんな急に休むと言ってもお昼ご飯も用意していない」
「朝から夕方までの長時間、1人で留守番なんてさせられない」
そして多分、1日や2日休ませれば治まるような簡単なことではないことを、なんとなく肌で感じていたんだとも思う。
そして、こんなことで休ませれば「これからもずっと続くかもしれない」という恐怖を。
とはいえ恐怖や問題から目を逸らしたところで現実はなにも変わらない。実際この先は最悪の展開を辿っていくことになる。
息子が出していた小さなサイン
今思えば、次男は昔から保育園に行くのを嫌がった。私が少し早く働き始めたので4年保育だったのだけど、内3年間は毎日別れ際泣いていた。
自分の足で歩いて登園したのは最後の年。年長になってからだった。
とはいえ、夕方迎えに行けば先生からは「楽しく遊んでましたよ」と言われたし、保育園の写真に映る次男もみんなと同じように遊び楽しそうな姿をしていた。
きっと私と離れるタイミングが嫌なだけで、行ってしまえば楽しいのだと。
まぁこれは、後ろ髪を引かれる思いで預ける私がそう思いたいというのもあったのかもしれないけれど。
ただ、迎えに行けば保育園の園庭でみんなと遊びたくて、ちっとも帰りたがらなかったのは事実。それなりには楽しんでいたんじゃないかと思う。
保育園とは打って変わって、小学校入学はとても楽しみにしていた。2歳差の長男を見て憧れもあったのかもしれない。
実際、1年生は休むことなく通学した。ただ今思えばこの頃から少しサインはあったようにも感じる。
本当に「今思えば・・」くらいの小さなことだったけれど、離婚して自分のことに必死すぎたのも事実。
次男の学校への行き渋りは、私にとっては突然のことだった。でも次男にとっては突然なんかではなかったんだと思う。
積もり積もったものが現れただけの話で、新型コロナや休校なんて無くてもいつかは同じようになっていたと思う。