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子どもが行き渋りや不登校になると避けられないのが学校とのやりとり
私はこれが相当ストレスでした・・
次男が不登校になりもうじき丸4年になります。
我が家の場合
- 現在小学校5年生
- 小2の始業式後から行き渋りが始まる
- 小2~現在まで継続して年間30日以上の欠席
- 約4年間の中で1日通学できる時期あり
行き渋りが始まったばかりの頃は学校の対応に疑問を持っていたこともあったし、先生とのやりとりに負担や不満を感じていたこともありました。
学校側の判断や規則、保護者側の希望それぞれの考えや思いがあるので、妥協点というか着地点みたいなものが難しいのですが・・・
それでも、もし学校に戻るという選択を考えるなら学校とのやりとりは必須になると思います。
不登校も4年くらい長期間化してくると色々な変化が起こります。
この記事では
- 行き渋りが始まってからの学校とのやりとり
- 初期の頃~現在まで学校側の対応
- 変化または変わらないこと
- 学校システムの問題
私目線ではありますが学校とのやりとりを経て感じた事、考えていることをお話しします。
学校の不登校対応
子どもが学校に行き渋るようになった2020年頃と比べると配慮を受けられることが増えてきましたが、初期の頃は学校の対応に疑問や不信感を持つことも多く、母子ともに孤立していた時期もありました。
それが大きく変化し始めたのは、わりと最近のことです。
この数年間で感じた事は
- 不登校支援は住む地域で格差がある
- 同じ市内でも学校により対応が異なる
- 学校内でも担任により意見が変わる
- 学校も変化する
不登校支援に関しては、運やタイミングなども大きく関係している気がします
そして学校や先生方の少しの対応で良くも悪くも状況が大きく変わるということも感じています。
別室登校(初期)
次男が学校を行き渋るようになってまず考えたのは別室登校。私達の時代は「保健室登校」なんていういう風に呼ばれていました。
教室が無理ならせめて保健室なら大丈夫なんじゃないか?という思いもあったし、低学年の子どもを長時間一人で留守番させるのも心配だし避けたい。
そんな気持ちで学校に相談したんですが、残念ながら別室登校は無理でした。
その時の学校の返答はこんな感じ
- コロナ禍で空き教室として保健室が使えない
- 空いている教室がない
- 教員不足
つまり、教室に入って授業を受ける以外の選択肢はない。
みんなと同じようにできない時点で学校内で居場所はないということ
コロナ禍以前に子どもの通う小学校が行き渋りや不登校児に対してどのような対応をしていたのかはわかりません。
ですが、学校に変わる居場所などない私達に残された選択肢は二つでした。
何とかして学校に行けるようにする
or
学校に行くのを諦める
私は不登校を受け入れられず他に行く場所もない。学校に行くことを諦めることもできないなら「学校へ行かせながら適応するしかない」と拍車をかける。
前回#2で書いたとおり最悪の悪循環です
別室登校(現在)
別室登校が認められるようになったのは、わりと最近の話で小学5年生の2学期が終わろうとしている頃。
幸か不幸か(話が飛んでしまうので内容はまた今度)とある先生の提案でクラス以外の空き教室を使わせてもらえることになりました。
これをキッカケとして5年生の2学期は急激に学校へ行く機会が増えました。
3学期の前半は調子が良かったのですが、6年生を前にして今は違う課題が出てきてしまい壁にぶち当たり中です・・・
別室登校が認められるようになってからは、本人が受けられる授業は教室で受け、それ以外は空き教室で過ごさせてもらうなどしています。
担任の対応
小学2年生から現在まで毎年担任が変わるので4人の先生とのやりとりをしてきました。行き渋り・不登校に対する接し方や対応もそれぞれです。
遅刻・欠席連絡
不登校の子を持つ親であれば皆が通る道だと思いますが、学校に遅刻・欠席連絡をするのって本っっっ当ーーーーーーーに疲れるんですよね。
たかが電話の1本くらいと思うかもしれませんが毎日毎日、行くか行かないかもわからない状況を学校に入れ続けるって本当に負担なんです。
しかも朝の決まった時間までに連絡入れないと学校から電話が入るんですよね。
私はこのやりとりが死ぬほど嫌で担任の先生に相談したことがあります
でも却下。笑
正確には2年生まではの話ですが。3年生は担任が学年主任の先生になり遅刻・欠席連絡から解放されました
ちなみに、その後すぐ電話以外の連絡方法(学校システムとして)出来ましたがそれも直、負担になったので辞めました。
私個人としては不登校なのに毎朝の欠席連絡なんているか?と疑問ですが、当時の学校側の主張としてはこんな感じ
- 子どもの安全確認の為
つまり「親からの遅刻・欠席連絡がない→家を出た可能性→なのに学校に来ていない=一大事」だそうです。
確かに学校としては責任もあるでしょうし、言ってることはわからなくもない。
ただ学校へ行く場合は絶対に私が教室まで送り届けているし、そもそも不登校の子どもが一人で家を出て学校に行くことはないわけで。
こういう所で親の負担が増していくのよ
当時の私は。自分なりに子どもの不登校を受け入れようと毎日ギリギリなところで生きているのに、学校はどうしてこんなに負荷を掛けてくるんだろうと思ってました。
その後しばらくして大ベテランの先生と話す機会があり、学校への遅刻・欠席連絡の話になったことがあるんですが
連絡?そんなものいいって!お母さん大変でしょ~大丈夫!!
この先生がいなかったら確実に親子共々今はない
連絡帳のやりとり
子どもが学校に行かなくなると当然時間割がわかりません。(時間割がコロコロ変わるし)
完全に行かなくなれば時間割などどうでもいいのですが、行き渋りの時期は学校に行く時もあるので時間割は知っておきたい。
多分これも不登校あるあるなんですが、子どもは「明日は学校に行く」って言うんです。
結局、次の日は行かない(行けない)んですけど親としてはその言葉に希望を持つんですよね。
学校に行けなかったとしても、時間割や持ち物は知りたがるので初期の頃は毎日学校に電話して聞いてました。
ただ、担任も忙しいので電話しても職員室にいない場合も多く折り返してもらったりとか、そういうやりとりを1日に数回、毎日することになる。
そうして時間割を聞いても結局次の日も行けない。また同じ事の繰り返し
いい加減「もう疲れた・・・」となるわけです。
ですが問題は、これを止めると時間割が手に入らないこと。
例えば我が家の場合ですが、次男は先が見通せないことがとても不安に繋がる子です。
明日の時間割や持ち物が分からない
↓
不安
↓
学校に行きたくない
こういう流れに繋がるので、私としては何としてでも明日の時間割と持ち物を知る必要がある。
これまでの担任の中には1週間の時間割を書いて自宅のポストに入れてくれるという先生も現れました
私が限界に達して、当時の教頭先生に連絡帳のやりとりをメールに変更できないかお願いしたのが始まり
結局メールでのやりとりは無理だと言われ、担任の先生が週末に家のポストまで手紙を持ってきてくれる話になったのですが・・
私はこの数年のやりとりで「絶対そのうち負担になる」とわかっていたので、学校に取りに行くと申し出ましたが
大丈夫です!
年度の始まりだったし、若い先生なのでやる気もあったのでしょう。ですが結局は2ヶ月も持ちませんでした。
段々手紙が遅くなり、そのうち何の連絡も無く途切れました。最初からこうなることを何となく予想できていたのでまぁ、所詮そんなもんだよなっていう感じもあったし
元を辿れば私が学校に毎日連絡を入れるのが負担ということから始まっている訳だから、そこで学校に文句を言うのもなんか違う。
1クラス30人ほどの生徒を1人の先生が受け持つわけだから大変に決まってる。全然大丈夫って笑ってるけど内心面倒なんだろうなって。
学校に限った話ではありませんが、他人に期待すると疲れるし、信用を置く相手を間違えると疲弊するだけなので自分の中で見切り・線引きも大事なことだと思っています。
担任の先生と保護者の負担を減らすために、学校側にはもう少し柔軟に対応して欲しいところです
それ以外の連絡
欠席・遅刻連絡と連絡帳の確認以外にも学校からの連絡は入ります。それが
お子さんの様子はどうですか?
という連絡。
ハッキリって負担以外の何者でもありません
学校に行けなくて毎日毎日1日中家にいるんだからどうもこうもない。何もない。
もちろん大人なんでそれなりの受け答えをします。先生も仕事ですし、気に掛けてくれているのもわかるので失礼の無いようにしますが
ただ、内心めちゃ負担
夕方頃はただでも鬱っぽいのに、毎日掛かってくる電話はそのうち恐怖になっていきました。
先生はきっと気を使ってくれてる。そうなんだけど、病んだ人間(私)には元気で明るい声も、前向きな言葉も、全てが負担。
当時は「なんで私は毎日こんなに悩んで苦しくて、今にも泣きそうなのに先生はこんなに明るい感じで話してくるんだろう」って思ってました。
もう本当に限界だったんだよね
親切心で電話をくれている先生に対して抱いてしまう自分の暗く醜い感情が、さらに自分の心を病ませる感覚すらあって。
「あ、私もう無理だな」って思った時に頑張るのやめました。
その後学校に電話して、教頭先生に学校からの毎日の連絡が負担であることを正直に話しました。
担任の先生も立場上、責められたりすると気の毒なので気に掛けてもらっていることへの感謝を述べた上で
- 今の自分には毎日の電話は負担であること
- 何かあればこちらから連絡を入れること
- 学校からの電話を拒否するわけではないこと
- 学校から連絡があれば電話にも出る
こういうような事を学校側に伝えました。
学校からは子どもの様子確認で連絡を入れることもあると言われましたが、承諾してもらいそこからは学校からの連絡頻度は格段に減りました。
ただ、親にとっては負担でもこういう学校側の対応も大事なことだとも思ってます。
もしかしたら虐待とかあるかもしれないし、ニュースになるような事件や問題に繋がるかもしれないので。
家庭の中って見えないので子どもの安否確認の為もあるのでしょう。うちは母子家庭ですしハイリスク家庭として見られていたかもしれません。笑
とはいえ学校システムを全て受け入れる必要もないと思うので、その辺りは学校と話し合ってお互いの着地点を決めていくしかないかなと思います。
まとめ
子どもの行き渋りが始まってから、同じように送迎付きで学校に来る親子、校舎の前で闘っている親子など何組か見かけるようになりました。
中には以前のように学校に戻った子もいます。我が家のように波のある子もいるでしょうし、一切登校していない子もいると思います。
何にせよ学校というシステムの中に入る以上、保護者側ができることは本当に限られています。(そもそも自分以外の事柄はどうこうできるものでもありませんが)
小さな要望も聞いてもらえない、なにも代案をくれない、そればかりか負担を強いてくると学校を敵のように思っていた時期もありました。
こういう気持ちは次男が不登校になってから感じ始めました。そもそも何か問題が無い限り学校と密に関わる機会もないですが。
結局は置かれる立場や状況によって相手の見方や印象が変わるのだと思います。
学校は学校で教員不足だろうし、そもそもが個別対応できるシステムでもない。だから適応できない子どもは不登校になるのだろうけど。
それでも、もし学校で居場所を作ろう・戻ろうと思うならば学校側とのやりとりや関係性の構築は必須。
当然、学校と親が結託する形で子どもに無理を強いるのはよくありません。学校へ行くのは子どもなので本人の意思が1番に尊重されるべきです。
ただ不登校支援が十分でないなかで、学校との関わりを完全に断つリスクもあると思っています。あくまでも子どもにとって少しでもよい環境を作るための学校との関わりという意味です。
あとは担任や学年主任、教頭先生など学校の教員以外で学校に出入りしている専門職(外部)の人との繋がりも大切だと思います。
学校の先生達とは違う視点で考えてくれることもあるし、学校には言いづらいことも話せたりします。
大変な時に寄り添ってもらえないと「敵」になってしまうので、相談する相手は選んだ良いです
とにかく親子だけで抱えないことが大事!これがとても難しいことなんですけどね。
子育て全般言えることですが、側にいる親が潰れないって本当に大切です。笑顔は無理でもせめて潰れない。
その為には親も我慢をし過ぎないことです。
学校からの連絡など負担になるものはなるべく減らす。過去の私がそうだったようにすんなりとはいかないかもしれませんが、結局は対・人との関わりです。
学校に意見が通る通らないは別として不満や要望も伝えることは大切だと私は考えています。
ただのモンスターペアレントにならないように気をつけましょう。笑
敵対するのではなく”上手に”付き合う、意見を伝える。逆に言えば時には見限る決心も必要なのかもしれません。
なんにせよ、色々な人の意見や声がきっと学校の対応を変えていくのだろうと思います。