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傷の舐め合いは悪いことばかりではない。

こんばんは!Izumiです。

今日なちょっと暗いテーマかも?しれません。

傷の舐め合いと聞くとどういうイメージを持つでしょうか。あまりいい印象はないかもしれませんね。

ある人からみれば、滑稽にみえるかもしれない。
互いに傷ついた部分を慰め合って、なんの生産性もないことだと思うかもしれない。

それでも何も生まれなくとも、ただ、そこにとどまれるならば、その人にとっての居場所になる。きっと、そんな関係を依存と言ったりするんだろうけど。

そういう関係性に救われる時も、あるのではないかと思うのです。

目次

傷の舐め合いは悪いことばかりではない

話し合う女性

向上心の塊とキラキラ

向上心の塊のような人や、キラキラした人にたまに疲れることがある。多分こう感じている時は、自分の心が元気でない時だと思う。

このブログでも何度か言っているけれど、私はあまり心の状態が一定に保てない人間だと思う。

まぁ、みんなそうなのかもしれない。大人になるにつれ、差があれど体裁を整えるようになるから。

実社会で人と関わっていく以上「我が我が!」ではトラブルだらけで上手くいかない。モヤモヤがあったとしても、自分の中で処理できたりするようになる。

諦めが、そのひとつのように。

押し売り

実際に、向上心の塊に見えるあの人も、キラキラの人生を送っていそうに見える人も、ただそう見せている(演出)だけであって、本当は違うのかもしれないし、実際にそうなのかもしれない。

それは私にとってはどうでもよいことなのだけど。

じゃぁ、何が問題なのかというと、たまにこの向上心の塊やキラキラが自分にぶつかってくることがある。

自分から拾いに行ったわけではない。ただそこに居ただけなのに何故かそれらが飛んでくる。

こういう時はちょっと心がざわつく。何気なく歩いていた道で突然、勝手に手を掴まれ、目に見えないキラキラや幸せを押し売りされているような感覚。

自分の心が燃えたぎっていて相手と同じ熱量の時には、どんな前向き発言にもキラキラ眩しいことにも付いていけるし、自分もそうなりたいと向上心まで湧いてくる。

自分で望む時には自ら取りに行く。そういうものじゃないのかな。

避けたい傷の舐め合い方

私は傷の舐め合い自体を悪いことだとは思わないけれど、実際は条件付きだったりします。

それは、共倒れてしまうほど互いに引き入れてはいけないということ。相手の人生を壊すこと、相手の足を引っ張ること。

これを始めると本当に悲惨な結果しか待っていないと思う。ここまでくると、傷の舐め合いどころか、地獄へ引きずり落とすことになってしまうから。

傷を舐め合あうということ

自分が経験したからこそ、わかることもある。それでも、自分と人は違うので似たような境遇にあったとしても、相手を1から100まで理解できるということはまずない。

もし、そんな風に思ってしまうのならば、それは相手に過去の自分を投影させているだけなのかもしれない。

傷の舐め合いだとしても互いに励まし合い、気持ちを共有し、そこで癒されることがあるのならば良いのですよね。

ただし、最終的に自分を救えるのは自分でしかないということを踏まえた上で傷を舐めあうべきだと思うのです。

アドバイスは必要ない

話し合う女性

共感

人って複雑だよな~と思うことは、相談したからと必ずしもアドバイスを求めているわけではないということ。

これはどちらかと言えば女性に多いのだろうか?
別に具体的な答えを求めているわけではない。ただ話をしたい、聞いて欲しい。

なんなら共に同じ気持ちになって共有し合いたい。

人は否定されることが嫌い

相手からアドバイスを求められたら多くの人が、自分なりに誠心誠意、相手に答えようとするんじゃないかな。そして、その意見が正しかろうが、イマイチ的を得てなかろうが内容はあまり関係ないようにも思う。

ポイントは3点

・人は自分に賛同してくれる人を好む
・反論されることを嫌う
・反対されたら疎ましく思う

結局、人にアドバイスを求めるときは、自分が既に心に決めたことがある状態で、背中を押して欲しいとか共感して欲しいとかそんなことだと思うんだな。

もちろん、相談の内容によっては経験者の(成功・失敗)を踏まえて参考にしたいと思う場もあるのだろうけど。

相手に負担をかけてしまう言葉

最近思うのは、「自分にもできたんだから大丈夫」という言葉はあまり使うべきじゃないのかもしれないといこと。

私は劣等感の塊のような人間なので、自分に自信がないとか、取り柄がないと思って生きてきました。何よりも問題なのは、努力が嫌いで大して努力も継続もしてこなかった癖に一丁前に凹んだりすること。

未だに自分にとっての「これだ!」と言うものを探し彷徨っている途中ですが、これまでの人生を思ってみると、やっぱり波は存在するな~と思う。

と同時に人生にドン底時期があれば、そこから抜け出す時期というものもある。

重荷になる意見

何かを乗り越えた時「自分は成長したんだ!」「自分にもできたんだ!」と成長を感じることある。

そうすると、今度はそれを糧にして色々頑張っていくわけですが。

同じような状況で悩んでいる人や迷っている人につい「こんな私でも、できたんだから大丈夫」と言いたくなってしまう。いや、言ったことあるな。

実際、本心でそう思っていますし、受け取る側に「この人にもできたなら、私にもできるかも」と思ってもらえるキッカケになったらとても嬉しいと思います。

ただ、特定の相手に向けて使う言葉ではないのかもしれない。だって「こんな私と言っているあの人ができたのに、自分にできなかった」場合ね

その人はどう思うんだろうか?私だったら、さらに自信を失うわ。

なのに、こういう言葉ってよく使われている気がするのです。ビジネス上であれば効果的な言葉だけど。

もちろん色々あった上で、想像を絶するような至難をくぐり、今がある人は大勢いるでしょう。

誰にだってできていない時期があり、同じように苦しんでいた時期があるはず。

だからこそ「自分にもできたんだから」と言いたくなるのは、分かるが誰しもが同じようにできるとは到底思えない。

個人と環境

というのも、やっぱり物事にはタイミングがある。人それぞれ、個人の能力も環境も違う。この環境というのは本当に甘くみてはいけないことだと思っていて。

確かに、人からの一押しで行動に移せる人がいるのも間違いはなくて、誰かの行動や言葉に感化されて実際に大きく変わる人存在する。

それは素晴らしいことだと思うけれど、まだ現時点でタイミング、環境が整っていない人にとってみれば、自分や自分を取り巻く環境を嘆き、責めるだけなような気がする。

そういう意味で、傷のを舐め合うというのは、私は悪いことだとは思わなくて。

互いに共感し合い、慰め合って。実際にそれが、なんのプラスにも見えなかったとしても、その人達にとっては現時点において必要なことであると思う。

そして、いつかは分からないけれど、それぞれ自分自身で気付いた時なのか、環境が整った時なのか、心の底から変化を求めるならば、自然とそういう方向に行くと思うんだ。

だから無理に人を引き上げようとか、できる!できる!の根性論・精神論みたいな言葉は、時として人を追い詰めるんじゃないかと思う。

無理に引き上げるというのは、今の自分のままでは良くない。つまりは否定しているのと同じこと。

傷を舐め合ってでも癒したい、安心したいような状態の人には、前向さが余計に辛い時もあるものです。

まとめ

電話で話す楽しいことを分かち合うのは簡単です。でも辛いことや悲しいことを分かち合うのは意外にも難しい。

自分の心を全て理解してもらうこと、相手の望むものを与えることは無理でも、寄り添うこと、その人の視点に立ち聞くことならばできる。

自分のマイナスな気持ちを出し、十分に自分と向き合うことができなければ、きっと無理がたたって、その後も騙し騙しになる。

結局、色んな気持ちにフタをしたままで誤魔化たつもりでも、それは隠しただけで、なんの解決にもなっていないことも。そういうものは、ある時ひょっこっと顔を出します。

だから、正しく傷を舐め合い、それにより傷が癒えるのならば何も悪い事ではないと思うのです。

人から得られるものには限界がありますから。変わるも、変わらないも本人次第。

色々と得たり、失いながら自分自身で気付いていく。そんなものなんじゃないかと思うのです。

 

ここまで読んでいただきありがとうございました♪

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2児のシングルマザー。離婚後の不安をキッカケに高認試験(旧大検)を受験→通信制大学に入学。4年間で最短卒業しその後社会福祉士の国家資格を取得。崖っぷち人生を好転させるべくブログやYouTubeで離婚後の人生を発信してます。

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