ひとりごと

【子育て】キャパシティーを超えると耳を塞ぎたくなる話。

子どもの声にも

勉強にも

日々、入ってくる情報にも

誰かの言った聞きたくない言葉にも

自分のキャパを超えるものは、自分の中に入れることができない。

おはようございます!Izumiです

あまりに疲れが前面に出ていたのでしょうか。

甘えるのが極端に苦手な私は、上手く人に頼ることができません。その代わり顔にはめちゃくちゃ出るタイプ。

はい。面倒やなやつだと自覚しております。苦笑

母親であることに疲れるのは当たり前だと思う。


「母親をやめたい」という言葉が一時期話題になっていましたよね。

ネットを見ていると、世の中のお母さんたちはどれほどのストレスに晒されているんだろうと思う。もちろん、私もそのうちの一人。

もちろん色んな意見があるのは分かる。そもそも親なんて辞めようと思って辞めれるものでもないですし。

ただ「母親を辞めたい」というのは決して親を辞めたいのではなく「お母さんとして求められる状況・状態」を辞めたい(逃げ出したい)という意味合いが強いのでは?と思いました。

つまりね、お母さん=役 みたいなものだと思うのですよ。

そして、世の中には沢山の家族の役割パターンがあるけれど、小さな子どもの子育てに主となって関わるのはまだまだ、お母さんが多いのではないでしょうか。

求められるものが多すぎる

私の場合は未だに元夫からも「お母さん」を求められているとヒシヒシ感じる。(当然だが)子どもからはお母さんとして扱われ(言いたい放題・やりたい放題)、先生にも、親としてのあれこれを求められ、世間からも母親を求められる。

働きながら子どもの学習に付き合うことの難しさ働きながら子どもの勉強に付き合うってなかなか難しいですよね。 うちは小学校3年生と1年生の息子がいます。 次男が保育園の年中の頃、言...

これらは別に「母親」なのではなくて「親または保護者」的な意味で求められることなのかもしれないけれど、やっぱお母さんってお母さんなんですよ。

「母親を辞めたい」で注目されていたけど、これ、状況によっては「父親を辞めたい」でも全然ありえるわけですよね。

主となって働く場合、やはり大黒柱してのプレッシャーとか責任感は大変重いものだと思います。だから育児と仕事を天秤に掛けたり、大変さを争うのは、あまり意味を持たないのはではないかと個人的には思ったりします。

育児中の自由さ

きっと、日頃の育児に対する負担率の大きさで、子どもと離れる時のハードルの高さが決まる気がする。子どものお世話に慣れていないと、預ける側も、預かる側としても不安を感じますもんね。で、なんだかグダグダ言っているうちに「もういいわ!」ってことになる。

結婚願望のあるほとんどの人が結婚生活や子どもを授かることに対して夢を抱いているはず。もちろん、中にはそうでない場合もあるけれど。

でも、実際に自分がその立場になってこそ、初めてわかるのですよね。それに、人と自分は違いますから、自分基準で相手に同じことを強要したり、意見を押し付けてはいけないとも思います。

でも、自分に近い人にほど理解してもらいたいものですよね。

人それぞれの器

人って、やっぱりそれぞれの大きさの器があって、さらにそれに注がれる量は人によって違う。同じことが起きてもほんの少ししか注がれない人、それだけで、器がいっぱいになって溢れ出してしまう人。いろんな人がいる。

だから、みんな比較したり、苦しむんだろうな。

ストレスってほんとに甘くみてはいけません。心の病気に繋がることだって普通にありますから。自分は辛いんだ!って、吐き出せるのはいいことですよね。

 

人と比べなくていい

以前、天女のような人に会ったことがある。その方はね、人に尽くすのが大好きで、ご主人の靴下すら履かせてあげたい人なのだそう。(というか、実際にやっていたらしい)子どもが生まれてから、その愛情が子どもに向いたらしいけど。

食べるものに対しても、ものすごい拘りを持ってて、色々勉強して資格とかもたくさんとって、家族の為に、子どもの為に色々とするのが大好きなんだって。現在は子どもの手が離れ、やはり人に尽くせる対人援助職に就いているそう。だから、子どもを預けて働く人や、子育てが疲れるって人の気持ちが全然分からないらしい。誤解がないように言っておくけど、めちゃくちゃいい人です!

この話を聞いた時、世の中にはこんな人が本当にいるんだと驚きました。そして、できる人はそもそも無理などしていないし、それが当たり前の状態なのだと気付いた。

本音と建前


多くの人は、本音と建て前を上手く使い分けながら生きているんじゃないかと思う。

例えば、子育てや家事で例えるならば、

建前「家事や子育て、主婦業は好きじゃないけど、私は主婦だし、お母さんだからやらきゃいけない」(こうあるべき)

本音「本当は家事もやりたくない、子育ては疲れる。私だって息抜きしたいし、自由になりたい」(こうありたい)

こういうふうに理想と現実の狭間で揺れるもの。 

このギャップが大きければ大きいほど、疲れたり悩んだりする。そして、多くの人はこの建前を認めて欲しいと思っているはず。それは建前の部分が問題の元になっている部分だから。

 

私は、できた人間ではないし理想の母親像とは程遠い。自分でよく分かっているので、子どもたちに普通に言います。「ママはママだけど、その前に人間だからやりたくないものはやりたくない!」と。

お母さんという存在はきっと大きなもので、全て受け入れてあげるくらいの海のような広さ深さ、が求められるのかも。それこそが母性なのかもしれない。でも、私に言えばなんでも解決するとか、何を言っても許されるなんて思ったら大間違いです。(実際はどんなことをしたってきっと見方ではあるけれど)

親であっても不完全なんです。

でも、いいんです。人間だから。

そうやって私は、私を保ってるの。

受けとり方や、感じ方は人それぞれ。

みんな違ってそれでいいんです。

 

耳を塞いで、扉を閉めて

そういう時があってもいいんですよ。

落ち込むって疲れるんです。結構なエネルギーを消費しますから。

そして、人間、ずっと同じところで落ち込んでいられるほど強くもないと思っています。

 

宣言通り、自分の為にケーキを食べてきました!

34歳の誕生日に思うこと先日、34回目の誕生日を迎えた。 「ママは今日で34歳か~。だんだん年取ってる...」としみじみいう9歳の息子の言葉に、朝からダメージ...

 

読んでいただきありがとうございました⋆*



ABOUT ME
izumi
izumi
4年制通信大学に通うシングルマザー。 離婚を期に高校中退であることに不安を覚え高認資格を取得、その後通信大学に入学し現在福祉と心理学を学んでいます。

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