つぶやき

自分は何者なのか

こんにちは!Izumiです。

子どもって大人が思うよりも、案外大人びた面がありますよね。自分自身だって、そうだったはずなのに、自分が大人になると忘れてしまっている。

小学生の息子が言った一言が面白くてこの記事を書きました。

*この記事は2018.10.10に書いたものを一部リライトしております。

 

自分は何者なのか。

 

「ママは自分が何者か知ってる?」

長男の質問に思わず笑ってしまった。

まさかこんなにも早くこの言葉をきくことになるとは。

私が息子に言った言葉は

ママも未だに自分が何者かわからん

「えー 大人も分からないんだ」

 

そして息子は

「自分が何者か分かるようになりたい!」とな。

息子には「そうだね~」と言ったけれど自分ってなんでしょうね。

私なりの答えは何者でもないし、何者にでもなれるかな。

自分の思い込み次第

要は自分の思い込み次第というところじゃないでしょうか。

確かに、世の中にはすごい才能を持った人、カリスマ性がある人など多彩な才能を発揮し、一目置かれる者が存在します。

私はこれまで「自分には何もない」と思って生きてきたタイプなので、自分探しをしたところで、どうしても誰かと比較してしまいマイナスな感情を自分の中に生み蓄積してきました。

でも何故か、考え方は割とポジティブ。

そして、思うのは多彩な才能・カリスマ性などはすべて人との比較の中で生まれるものだと思うんです。

比較

もし、この世の中に一人きりであったなら・・
誰かと比べることもなく他人との違いに気付くこともない。

自分以外存在しなければ比較対象すらないですから。

ということは、これは一生ついて回る問題なわけです。周りは比較対象だらけだからね

でも一人として同じ人間はいないわけで、違いは個性ですから比較したところでなんの生産性もないんだけどね~これがなかなか難しい。

きっと生まれた瞬間から比較は始まっていて、赤ちゃん時代は成長の速さ、就学するようになれば、勉強の出来、体力、運動の出来テストの点数、順位、偏差値etc…

こんな風に子供の頃から競争社会や比較の中で生きているので、もはやこれは私たちの中に植え付けられている仕方のないことです。

その割りに、皆と同じように~迷惑を掛けないようにという教育を小さなころから受け、少なくとも日本ではそれが美徳とされているよね。

もちろん、これはいい事でもあるんだけど、物事は何でも両側面ありますから難しい社会やなとも思います。

そんな価値観の中で生きているのだから自分と他者を比べてしまうのはごく自然なわけで。

様々な人が存在し、その中で「自分は何者なのか?」と考えたくなるのは当たり前のことだな~と。

目に見えるものが全てではない

中には作り上げられた人気やカリスマもあるだろうし、人目に触れないだけでものすごい才能を持った人、大衆に好まれる才能ではない場合など目に見えるものがすべてとも限らない。

誰かにとってはスターだったり、神的な存在であっても他の誰かにとっては”ただの人”だったり。

その逆も然り

 

結局は、その人にとっての価値ある存在だったり、特別にしたい存在であるということだけではないのか。

だから「自分とは何者でもないし、何者にでもなれる」と私は思うのです。

もっと言ってしまえば、自分が何者かを知る必要はあるのか…
分らなくてもこうして実在していますしこの先も生きてはいけますが、それでも考えてしまうのが性なんでしょうかね。

自分のことをよく知る

自分の置かれている立場を考えつつ、自分の存在意義よりも自分の思考や求めるものをよく知ること、こちらの方が大切な気がします。

よく言われるけれど

人は人

自分は自分

 

私もそう思う(ようにしている)けれど、自分軸でマイペースに生きていくってそう簡単なことではありません。

 

それが今の私の考え

息子達は、これからどんな考えや答えを見つけて行くんでしょうか。

 

ここまで読んでいただきありがとうございます🌼

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ABOUT ME
izumi
izumi
フルタイムで働きながら4年制大学の通信教育部で学ぶシングルマザー。子育て・仕事・学業に毎日奮闘!2020年4月から3年目に突入。大学では福祉・心理学 ・スクールソーシャルワークを学んでいます。

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