こんにちは!Izumiです
便利な世の中は、得をする人もたくさん増えるけれど、一方で損をしたり困る人もいる。色んな情報が出回ることで専門性が失われるのだろうか。今日はそんなことを考えてみます。
なんでもセルフの時代?
美容院に行ってきました。やっとこさ行けた💇🏻♀️
そんな美容院での美容師さんと私の会話。
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プロとそれ以外の差はなにか。
そんな話をしながら、ある意味SNSやネットの情報はプロの仕事を奪っていくかもしれないな~と思ったのです。気をつけるべき相手はAIばかりではないぞよ。
思ってみれば、美容だけでもセルフでやれることって結構ある。セルフネイル、セルフまつエク、セルフ脱毛、美顔器とかもおうちエステ的な感じだし。
私も好奇心だけはあるので、セルフでやってみよう!と手を出したこともあるんだけど、やはり餅は餅屋。もちろん満足することや事足りることもありますが、所詮は素人。(私が不器用だからかもしれない)
とはいえ、やはりプロにお店でやってもらおうとすれば、それなりのお金と時間が必要で。もし、なんの制限もないのならばセルフで済ます人の大半がプロに任せるのでないかと思うのだけれど、どうでしょうか。
私は言うまでもなくそのうちの一人です!が!現実問題(今は)将来的にそうなることを祈って()無理なので、そういう意味ではセルフケアが有難いのも事実。
理想と現実は置いておいて、お店<自宅 ケアの私は、物を選ぶときに口コミをかなり重要視している方です。だからそこ、自分がいいと思うのもはブログやSNSで積極的に紹介したりする。
もちろん人により合う合わない、好き嫌いが分かれるものだし、所詮「自分にとって良かった」だけの話なのかもしれないけれど。それでも自分が発信するもので、同じような悩みがある人が、悩みを解決して嬉しい体験ができたら良いなと思うのは根本にある。
そうやって考えるとネットって紹介できるものって人と共有しやすいもんね。お店だと限定的でシェアしずらかったり。制限が多いからな〜。
そうやって、職人たちの技や知識が色んな意味で広まっていくのだろうか…?それでもやはり、プロはプロですよ。逆立ちしても敵わない。またそうでないと良くないと思うんだ。
プロに求めること
わざわざそこに行くのは、もちろん技術やサービスが気に入っているというのは基本にある。それでも、私にとって最も大切なのは居心地と人柄
仕事でね、年賀状の準備を毎年するんだけど数年前に会社のコピー機を買い換えて。それまで印刷屋さんに頼んでいた年賀ハガキも会社で綺麗に擦れるようになったのだけれども、未だに印刷屋さんにお願いしているのです。
で、私は正直それを面倒に感じていたの。なぜかと言うと、印刷屋さんに年賀状仕上げまでの全工程を任せるわけではないから。私からすると二度手間、いやその他諸々を考えると三度手間くらいなわけです。
今は年賀状ハガキソフト使えば誰でもできちゃうので、年賀状は「全てうちでやることにしないか」と提案しようと思ってたんですよね。
でもね、ふと考えたのです。今の時代、一般的なコピーであれば、どこも普通にできるわけじゃないですか。だからどうやって印刷屋さん(昔からある個人経営)は会社を維持してるんだろうかとか考え始めて。←いらぬお節介である。
自分のだけの手間を考えたら、会社でやった方が効率的だけど、そこで生まれる大切なことってあるよな〜と思ったわけです。
特に昔からの関係だと持ちつ持たれつみたいな所はあるんだろうなと。
その人にとっての価値
自分で済ませられることに、あえて時間とお金を使って頼む。それだけの価値があるからと言えばそうかもしれないけれど、実際にその価値とは人によって全く異なるものだったりする。それに、結果自体に大差がない場合でも、大切なのは過程や体験、経験なのかもしれない。
サービスに限った話ではなく、人との繋がりでも同じ。自分で出来ることでも「あえてお願いしてみる」ことで縁が広がったりするのかもしれない。ことによるかもしれないけど、人から頼りにされるのって悪い気はしないじゃない。
と、言いながら私自身は頼るのがめっちゃ下手。可愛くない女代表!みたいな感じで自分でやった方が早いわ!的なね。と言う割に別になんも早くないし、どちらかと言うと抜けてるので無駄な動きが多いという面倒なやつ。
そんな私が、進んで頼りにしたり、続けて足を運ぶ場所と言うのは、結局”人“なんですよね。人が好き。あの人がいるからここのお店に行こう!ってなるのです。
専門性とは何か
美容院や年賀状ハガキなんかのように、プロの力を借りなくとも自分で出来てしまうことはいいのだけれど、なかには専門性を問われる、代替えの効かないことも多くある。
最近読んでた本で、面白いのがあったので紹介します。今って職業も多様化してて「そんな仕事あるの?」ってものも中にはありますよね。
個性や多様性は素晴らしく面白くもあるんだけど、専門性の線引きというか、そういうのが分かり辛くなってきてるんじゃないかと思うこともある。
たとえば、カウンセラー。
今は本当に色んなカウンセリングがありますよね。私自身も興味はあって、勉強したいな〜と思っていたりします。
その一方で「心理カウンセラーを名乗る人々が乱立している状況」なんて言われていたりも。
別にカウンセラーを非難するわけではなくて。話を聞いてもらうことや、自分が学ぶことで本当に心が軽くなることも沢山あると思うし、それ自体はいいことだと思います。
問題点
たぶん問題とされるのは、そもそもカウンセリングは「相談する」とか「助言」するという意味はあっても「治療する」という意味はないんですよね。
精神的な治療の専門家・有資格者は精神科医や心療内科医といった医師であるはずです。
なまじカウンセラーが請け負ったために、クライエントが医師による早期の治療を受けそこなって、とりかえしのつかない結果になったと見られるケースも少なくない。
出典:ケアリングの現在ー倫理・教育・看護・福祉の境界を越えてー 晃洋書房 第Ⅲ部ケアリング論の展開
要はカウンセリングと医療がごちゃ混ぜになってまっているのじゃないかということ。
だからカウンセラーが資格化されて専門家という認知をされるほど、正しいところ(医師)に繋がらなくなる可能性があるかもしれないということ。
じゃあ何が大切なんだといえば、何にでもなれる(名乗れる)世の中なので、結局は自分たちが正しい知識を持ち、自分たちの目で見極め選択していくことなのだと思う。
資格があるからとか、専門職だからとか先生だからとかではなく。結局そんなものは二次的な役割なのであって、元を辿ればひとりの人間なので、その人の価値観とか人間性ってのは確実にあって。もちろん、専門家として正義の倫理的なものはあるんだろうけど、その人にとって何が一番良い状態なのかは本人以外に分かるわけもなく。
最終決定権は本人にあるのだから、そういう意味で可能な限り自分で選択していくのは大切で、ある意味それは自分の責任なのだと思う。言われたまま全てを受け取ることも、信じることもなくてもいいも思うのです。
セルフで済ますことの問題と、プロとの境ってなんだろな〜と思ったお話しでした♪
ここまで読んでいただきありがとうございました🌼